働いてみて思った事

生半可な気持ちでは続かない水商売

 

大阪の水商売の聖地といえば新地。近辺に引っ越したこともあり、せっかくだしお金を稼ぎたい気持ちもあったので軽い気持ちで新地のキャバクラに働くようになった。

 

初めてだったのでまずはヘルプからつくことになったのだが、周りの先輩方が教えてくれることもなく先輩方から見て学ばなければならなかった。そしてお客様にお酒を出すタイミングなどが間違っていれば先輩に睨まれてしまう。

 

また名前でも呼んでもらえず、あなたよばわり。お酒の名前も分からなければ何しにきたの?など。軽い気持ちではいったつもりがこんな厳しい世界なのかと圧倒された。

 

しかし、私は昔から負けず嫌いであったため、そんな扱いをされたのが悔しかったし見返してやりたい気持ちが芽生え、自分でお酒の名前を覚えたり先輩方の技をみよう見真似をした。そしてそんなことをしながら一週間耐えて通い続け、仕事後に先輩に呼び出しを受けた。

 

また何か言われるのかと思っていると何故だか、よくこの一週間頑張りました。っとお褒めの言葉を言われた。私があっけらかんな顔をしていると先輩はその理由を教えてくれた。水商売をしようと新しく入ってきた子達は大半生半可な気持ちで入ってくる。

 

この世界は厳しい世界だと分かってもらわなければならない。
しかしその辛さに耐えれない子達が多く辞めていくので一週間きつくしました、と。しかし私は自ら学び、きつい言葉に耐えることができたので私を褒めて下さったみたいである。

 

そして私も初めて先輩から優しい言葉を言われてとても嬉しかった。その翌日から付きっきりで先輩の指導が始まった。そして名前でも呼んで貰えるようになった。キャバクラは見た目綺麗に着飾った世界でただ楽しくお客様とお喋りをしている娯楽の場では決してなかった。

 

努力をした者だけがいることを許される場所であった。生半可な気持ちでは決して続かない厳しい世界だったのだ。


 

田舎のスナックでの仕事

 

30代の頃、地元のスナックで働いていました。

 

お酒が強いというのを売りにして働いていたので、お客様以上に飲んで盛り上げて、でも友達との飲み会ではなくあくまでも仕事なので酔わないように一線を引いて意識を保つのがとても大変でした。

 

短い期間で3件ほどお店を転々としたのですが、最初のお店はかなり大きめで、女の子にも接客順があり混んで来るまで新人は待機。待機中も給料はいただけるので満足していましたが、しばらくしてお店がつぶれてしまいました。

 

2件目のお店は知り合いの紹介でしたが、ママではなくマスターがいる店で、女の子はみんなジーパンなどのカジュアルな私服でした。

 

女の子もマスターの奥さんが働いている大学の生徒やOBが多く、素人っぽくいやらしさがないので女性客も多く働いていても楽しかったです。

 

こちらに関しては新人さんがくるまでの短期の手伝いでしたので1ヵ月ほどで退店しました。
最後に働いていた店は、2件目のマスターの紹介で入り2年ほど働いていました。

 

小さなお店でママとその弟、女の子は毎日出勤している子が私以外にもう一人と木曜日だけの子が一人いました。
ママは産休中でほとんどお店にいないため、毎日出勤しているもう一人の女の子が実質ママ代わりでした。

 

小さいながらも店員もお客様もテンションの高いお店で、お酒を飲んだふりは通じません。
しかも他の女の子はお酒が飲めないことになっているので、お客様に無茶振りされた飲みは私とママの弟が飲んでいました。

 

その頃、夜のバイト以外に昼間も働いていたのですが3件目のお店がお酒の飲む量が異常で、時間通りに帰宅することができず体がきつくなったので3ヵ月ほどでやめてしまいました。

 

給料に関しては、お酒を飲んでこんなに貰っていいのかと最初驚きましたが仕事はやはりきつかったです。

 

笑顔でカウンターの中に立っていても、腰は痛いし、ヒールで足はしびれるし、お客様が帰るときは冬でも薄いドレスのまま外まで見送りをしなくてはなりません。

 

若い頃はよかったのですが、30歳を超えた今は時給がいくら高くてももう体力的に働くのは難しいと思います。
もし働くのであれば、最初から「お酒が飲めない」というキャラで売り出したほうが勝ちかなと、思っています。


 

みんなに支えられた水商売デビュー

 

20年程前・・・働き出したきっかけは、一緒に住んでいた友だちに彼氏ができていまい、自分がその家を出なくてはいけなくなったからでした。

 

当時は部屋を借りる費用も高く、そんなお金もなかった為、寮のある水商売を選びました。面接の電話をかけても、未知の水商売の世界に飛び込む勇気がなく・・・何度も面接を断っていました。

 

勇気を振り絞って面接に行ったお店のおかげで今の私があるとは思いもしませんでした。今思えば、本当に良いお店に恵まれていたと思います。

 

初めての水商売、クラブ、指名、同伴、アフター、何よりも寮(アパート)生活が一番不安でしたが、先に住んでいた先輩がとても良くしてくださり、一緒の席へ場内指名を入れてくれたり、先輩の同伴にも一緒にと誘ってくれたりと、本当に気を遣っていただき、お世話になりました。その後寮に入ってきた子とも、24時間一緒でも足りないくらい仲良く楽しかったです。

 

お店では、ナンバー1のキャストさんにはとても良くしていただき、ヘルプのご指名で付けていただいたり、誕生日会にも招待してくださったり。話しかけづらいと思っていた先輩たちも実はみんなマイペースな方ばかりでした。

 

実家へ帰る為、辞めるラストの日。お客様からとナンバー1の方に花束をいただいて泣いてしまった時のことは今でも鮮明に覚えています。

 

その後、地元のクラブで働く事になり、そんな女性ばかりではないことを恐ろしいほど痛感しました・・・。

 

十何年、水商売に誇りを持ってやれたのも、あの時の思い出があるからだと思っています。もちろん、支えてくれたお客様がいてくれたからですが♪

 

こうやって初心に帰るのも必要ですね。


 

将来に響かないと思うなら社会勉強になると思います。

 

私はいとこの経営する一等地にある小さなクラブで働いていました。きっかけは人手が足りないから誰か知らない?と聞かれたときにじゃあ私がといった感じで手伝い始めました。

 

お客様の層はとても良かったし、お酒の弱い私が飲まされたりすることもなくとっても働きやすかったです。接待でご利用される人もいれば、会社帰りの一杯の人もいたし、落ち着きたいからとお話しにくる方もいらっしゃいました。私は専門職だったので、会社での上下関係や接待の対応などは間近でみれる機会がなかったので、いい勉強になったと思います。

 

ただやっぱり母には言えませんでした。いくらいとこのクラブとはいえ、水商売は水商売、いとこも合わせて怒られるんだろうと思ったので2年間言わずにつづけました。

 

さらに知り合いに会うんではないかとか、学生だったのでもし学校に知れたらどうなっていたかなどはいつも頭にありましたし、このことを共有する友達もかなり選んでいました。私は専門職で将来大企業で働くようなことも有名になる野望もありませんでしたから将来的に経歴がばれたとしても大きく響くということはないと思います。

 

働いてるときはほかの仕事よりはるかにいいお給料を頂いて、とても気は遣いますがご飯をごちそうになったりプレゼントを頂いたり、大切にしてもらえます。でも将来経歴を明かされたときに偏見の目を持たれるのは当然だと思います。

 

たとえば医学部や薬学などの学費を稼ぐのにどうしてもとか、将来エステサロンを開業したいからなど、そういう理由で働いている方もいますし、本職として働いてる方に対して失礼かもしれませんが、私個人としては理解できます。

 

現在大学生やOLの女性が小遣い稼ぎ、興味本位でバイト感覚で始められる方がいるとお聞きしましたが、それだけのリスクがあることを考えていないんではないかと思います。

 

たとえやむを得ない理由があっても、将来そのことで築いてきたものを失う可能性があるということは理解して始めるべきだと思います。


 

年配のおじさま方に人気でした

 

大学生の頃、学費を稼ぐために掛け持ちのアルバイトとしてクラブで働いて居ました。
私の入ったお店は、その頃その地区でナンバーワンと言われていた女性がおり、連日大盛況でした。

 

お店の給与システムは、最低時給が2千円?で、プラス指名料、ドリンク代等が付きます。遅刻や当日の欠勤時は罰金がありました。
大まかにレギュラー出勤組とヘルプ出勤組とで分かれていて、学生バイトはヘルプ出勤組がほとんどでした。
同年代の子が多く、休みの日にも一緒に食事をしたりする仲の良い子も出来ました。

 

勿論、レギュラー出勤組はお店側からの配慮もあり、指名客が取りやすい様に優先的に指名を持たないお客様の接客をさせてもらえていました。

 

指名をしないフリーのお客様から、ハウスボトルでなく別料金のドリンクをご馳走になった時にも、きちんと金額に応じたバックがあり、レギュラー出勤でない子でも稼ぎやすい環境でした。

 

しかし、月に1度強制同伴デー等があり、どうしても出来ないと罰金がありました。
ヘルプ出勤組でも、指名してくれる方を持たないと厳しい面もありました。

 

私は入店当初からご年配のお相手をする事が多く、何人ものお客様に可愛がって頂きました。
反対に、グループで来ているお客様とはほとんどお話をした事がありませんでした。

 

それも、お店側が向き不向きを見極めた配慮だったのだと思います。
退店する最後の日には、皆様に来て頂き、私史上過去最高の売り上げを出す事が出来たのは良い思い出です。